パブリックのために働きたいと早期退職、科学技術の面白さを世の中に伝えるため日々奮闘中

先輩インタビュー:0002 転職:大学広報 → テクニカルスタッフ、他

永合 由美子(なごう ゆみこ)さん

母校で科学技術の魅力発信を支援しながら、個人事業主としても活動中 (BMDesign研究所代表)

■ 今は何をしてらっしゃいますか? 現在のお仕事を教えてください。 

母校の大学の研究室で週に2~3回、秘書的な仕事を、また産業技術総合研究所でも週1回テクニカルスタッフとして働いています。科学技術を伝えるための仕事も個人事業主として手掛けていますが、その傍ら、ボランティアで日本女性技術者フォーラム(JWEF)メンター部会長として、理系女性の支援や次世代の「リケジョ」育成に注力しています。

■ 退職前はどんな仕事をされていましたか?

家庭用品メーカーのライオン株式会社の研究所で10年ほど素材の研究後、商品開発部門で洗剤開発に従事しました。 ここではヒット商品の開発に携わり、社長賞も受賞したのですが、最終消費財を扱うにはもっと生活者のことを知る必要があると新設された「生活者行動研究所」に異動となりました。この頃から興味の対象が「モノ」から「ヒト」へ移っていきました。その後、商品企画部門でマーケティング関連の業務にも取り組みました。

■ 仕事を辞めたのはいつですか?

48歳のときに退職しました。出産・育児で管理職になるのが人より6年遅れたこともあり、このまま会社に残るのかどうしようかと考えていましたが、夫が現役のうちにと思い切りました。

■ 安定した収入を捨てた理由は?

社内で先が見えてきたこともあり、これからのキャリアを考えると自分の所属する会社のためだけに働くよりもパブリックのために働きたいと思ったのが理由です。精力的に働けるのは、あと10年と思ったとき、それなら社会の役に立つことで新しいことにチャレンジした方がおもしろそうだと思い決断しました。

■ なぜ、今の道を選んだのでしょうか?

母校にて

たまたま声をかけていただいて応募し、最初はフルタイムで大学の広報の仕事をやっていました。大学での研究活動を知ってもらうために、一般の方向けのイベント開催や、プレスリリース活動、Webサイトの運営などをする仕事です。前職でも製品の良さをどう伝えるかという広報的な仕事をしていましたので、お話があったとき、「面白いかもしれない。私でもやれるかもしれない」と思いました。企業にいた頃から、人に何かを「伝える」ということに面白さを感じていて、伝えるものの対象は変わりましたが、科学技術の面白さを伝えることにやりがいを感じていました。ただ残念ながら、広報の契約が5年間で延長できず、今はパートタイムで秘書的な学術支援の仕事についています。

■ セカンドキャリアの準備を始めたのはいつ頃ですか? 考え始めたのはいつ? 

40代くらいから少しずつ考えていました。辞める5年くらい前から個人的にコーチングを受けてきました。その中で、ずっと会社に残る場合、そうでない場合などと、ケースA、B、Cとそれぞれのメリット・デメリット等を自分なりに考えてきました。今、振り返ってみると、そうして準備をしてきたんだと思います。

■ これまでに試行錯誤した時はありましたか?(苦労話やこうしておけばよかったとか)仕事を辞めて感じたことは?

仕事を辞めて3か月くらいは、キャリアカウンセラーの資格取得のため、通学しました。並行して仕事を探していましたが、、なかなかこれといったものに出会えませんでした。母校での仕事の最初は、“大学の最先端の技術を広報するという仕事は天職”だと思ったくらいでしたが、実際にはそう単純なものではありませんでした。「大学」という世界に「企業」の論理を持ち込んで、頭ではわかっているつもりでもなかなかうまくいかず、特に人間関係で苦労しました。大学の研究室というところは意外と狭い世界ですから。広報の仕事は5年間で終了しましたが、「こうしておけば良かった」というようなものはありません。生まれ変わっても同じ生き方をしてきただろうと思います。ただ、どこかのタイミングでドクター(博士号)を取得していたら、仕事の選択の幅が広がったかもしれない、とは感じています。

■ JWEFやその他のボランティア活動についても教えてください。

JWEFに入会したのは20年ほど前のことになります。当時勤務していた会社で、設立にかかわっていた大先輩がいらっしゃって、その方のご紹介でした。子育ての時期は、幽霊会員でしたが、2012年から運営委員として4年間、その後メンター部会の部会長として活動を継続しています。まだ少数派である女性技術者にとって、斜めの緩い関係をたくさん作ることができるコミュニティーです。実際には10名ほどの部会員の協力を得て、年に4-5回の企画をプランニング、実施運営しています。少人数でじっくり話をするメンタリングサロンは12回を数えます。昨年は、LIFESHIFTの本をじっくりと読む勉強会を重ね、女性技術者のキャリアと絡めたワークショップでの話題提供もしました。若い方から学ぶこともとても多く、充実した活動ができていると自負しています。毎年100名ほどの女子中高生の参加実績のある「女子中高生夏の学校(理系進路選択支援事業)」でも、2017年は企画実行委員長を務めました。

■ 今、抱えている問題は?

今手掛けている自営の仕事や大学の仕事は、「背水の陣で臨む」というような覚悟があったわけではありません。ちょっと動機として弱いかなと思うときがあり、もっと面白いことにエネルギーを割きたいと感じることもあります。JWEFや次世代育成のボランティア活動は充実感がありますが、ビジネスとして発展させられる取組も必要だと思っています。

■ 今の生活に満足していますか?

8割がたは満足しています。収入が不安定なことでたまに気持ちに影響するときもありますが、ネガティブにはなりません。会社を辞めてネットワークが広がり、良かったと思っています。会社を辞めると人に認めてもらえる「場」がなくなってしまうものですがJWEFでの活動でそういった「場」があることは幸せだと思っています。また大学では“すごい!”と思える先生方に出会うことができて良かったです。企業はどうしても利益が優先しがちですが、違うフィールドに自分を置くことで、新しいことが開けていく、自分にとっては大事なことだと思っています。

■ 後輩にアドバイスするとしたら?

会社の中で不満を持っていても、それを前向きな形にする人(会社を変革したり、会社から飛び出して新たなことに挑戦する人)はまだ少ないと感じています。これからはもっと増えてもいいんじゃないかと思います。ただそんなに簡単に仕事は見つからない。だから準備をすることが大事です。いろいろある不満をポジティブなエネルギーに変えてチャレンジしていって欲しいと思います。

■ 今後の展望についてお聞かせください。

3つのことを考えています。ひとつめは科学技術の面白さをもっともっと伝えていきたい。みんなが「科学って面白い」と楽しめるプラットフォームを作りたいと思っています。研究者だけでなく一般の人も一緒に加わる「シチズンサイエンス」です。いろいろな人と関わって、一方通行ではなく、インタラクティブにみんなで考えていく。どういうふうにやるべきか、今、模索しています。同じようなことを考えている人と繋がっていくことで力になっていくと思っています。二つ目は次世代の育成です。日本では自己効力感が低い、また技術離れと言われています。しなやかでタフな次の世代の子供たちの基盤作りです。そして三つ目は「リケジョ」の強みを生かしたビジネス展開です。

■ 最後に、働くということは貴女にとってどういう意味を持っていますか?なぜ、働いているのでしょうか?

そうですね、働くということは、「社会の役にたつこと」だと思います。自分のやっていることで社会が良くなる。そのために少しでも貢献していく。それが私の働く「価値」だと思います。

BMDesign研究所 のWebサイトはこちら
http://bestmatchingproduce.com/

■ 編集後記

科学技術そのものを追及する研究者の視線ではなく、科学技術を「広報」する視線で語られる姿に、科学技術の面白さをもっと世の中に伝えたい! 「リケジョ」をもっと支援したい! と科学技術に対する「愛情」すら感じ、「科学技術への愛」と「社会の役にたちたい」という想いが「シチズンサイエンス」という言葉に集約されているような気がしました。エネルギッシュに想いを語られ、これからどんな形に展開していくのか楽しみです。 (2017年12月14日)