「いつかは起業を!」と中学生の頃から思い続けた夢を早期退職して実現

先輩インタビュー:0004 起業:調査会社経営

吉田 富美子(よしだ ふみこ)さん

「生きた証を記録に残す」ファミリーヒストリー記録社 経営

■ 今は何をしてらっしゃいますか? 現在のお仕事を教えてください。 

お客様からのご依頼に基づいて、その方のルーツを調べて家系図や一族史を作成していく会社を経営しています。
年配の方にお話を聞き、必要な調査を行い、家系図やあるいは本という形にして、「生きていた証」を記録に残す仕事です。個人の方からのご依頼だけでなく、法人からもご依頼いただき、創業前史を調べ創業者の思いを伝える仕事も行っています。

■ 退職前はどんな仕事をされていましたか?

大学卒業後は株式会社桃屋で28年間、研究一筋でした。代表商品の佃煮や、乳酸菌の研究などの研究を中心に商品開発にも携わりました。たいへん風通しの良い職場で、思いついたことは、すぐにやってみろと言ってくれる働きやすい職場でした。実は、桃屋でも会社の歴史を自分で調べたことがあります。桃屋の経営理念は「味を大切にする桃屋」ですが、どういう商品を作るべきか悩んだときに「会社の理念」に立ち返ることが必要だと思ったので、その理念が作られた歴史を調べてみようと思ったのがきっかけでした。

■ 仕事を辞めたのはいつですか?

50歳の誕生日で退職しました。中学生の頃から、いつかは自分の力で何かをやりたい、起業したいと思ってきましたが、その何かがわからず、卒業後は普通に就職して働いてきました。50歳を前にして、仕事は面白いけれど、体力・気力を考えると50歳が区切りだろうなと思い、切りよく50歳の誕生日で辞めることにしました。

■安定した収入を捨てた理由は?

ある程度は貯金もあるし、子供もいないし、主人も働いていて経済的には不安はあまりありませんでした。

仕事そのものは面白かったのですが、正直言って、会社にずっといても私自身の未来が描けませんでした。新しいものを生み出さなければいけないプレッシャーも多く、アイディアがだんだん枯渇していく苦しさも感じていました。そんな中、課長にはなったけれど、この先、他の人と競ってこれ以上「上」をめざすのが、本当に私のやりたいことなんだろうかと思いました。もともと「いつかは起業を」と思っていましたし。

■ なぜ、今の道を選んだのでしょうか?

40代の後半になった頃、父が大きな病気をしました。その時、父のことを何も知らない自分に気づきました。

本「私の履歴書」
始めて手掛けたお父様のヒストリー

父は北方領土で生まれたのですが、父の歴史を知りたいと思い、父自身に話を聞いたり、戸籍謄本を取り寄せたりして、いろいろ調べてみました。幸い、父は無事に手術をして回復しましたが、調べた父の歴史を本にして、父や兄弟たちに渡したら、たいへん喜んでくれて、「聞いて調べることで歴史がわかる。これを仕事にできないか」 と思いました。

■ セカンドキャリアの準備を始めたのはいつ頃ですか? 考え始めたのはいつ? 

準備期間は2年くらいでしょうか。足立区の起業セミナーに1年通い、また年配の人に話を聞くための参考になるかとヘルパーの資格もとってみました。起業がうまくいかなくても、ヘルパーとして食べていけるかなという気持ちもありました(笑)。

会社を辞めてからは、職業訓練校へ行きながら、サンプルを作ったり、価格設定を考えるなど起業へ向けての具体的な準備を行いました。

■ これまでに試行錯誤した時はありましたか?(苦労話やこうしておけばよかったとか)仕事を辞めて感じたことは?

もっと早く始めれば良かったというのが正直な気持ちです。

実は本を作る経験は初めてだったので、独学で勉強したのですが、起業セミナーの仲間に見せたらNG。デザインはやはりプロのデザイナーにというふうに、ひとつひとつ学びながらここまできました。今は、デザインは納得するまでいろいろな人に頼んで、DTP(ページのレイアウト)だけを自分でやっています。

今年、創立5年目になりますが、4年目にやっと黒字化できました。創業補助金200万円、小規模事業者持続化補助金50万円をいただきましたが、それでも持ち出しは累積200万円くらいになるでしょうか。
仕事は波があって、2か月くらい新規依頼がない時があります。そんな時は不安になって、ヘルパーの仕事をやろうかしらと思ったり、価格を見直したりもしました。

読売新聞で取り上げていただいたことがあるのですが、マスコミの力は大きいなとつくづく感じました。これは「ネクストライフ」というコラムで、それまでとはまったく違う仕事をしている人をとりあげて記事にされているのですが、このときは大きな反響があり、多くの受注につながりました。

マスコミと言えば、ちょうど会社設立準備中に会社名を考えている時に「ファミリーヒストリー」というNHKのTV番組があることを知りました。機会があって番組のシニアプロデューサーの方にお会いできたので、思い切ってご相談したら、この名前を使うことにOKをいただくことができました。相談してみるものですね。

■ 今、抱えている問題は?

そろそろ自分で調査やDTPをやるのは辞めて、社長さんたちに会いに行くこと、営業ですね、これを優先していきたいと思っています。法人は一つ良い結果を出すと、次はこちらもと広がりがあります。

それから、どうしても地方で調査することが必要になるのですが、ある程度の情報はリモートでも得られますが、地元の神社や近所の人に話を聞くなど、現地に直接出向かなければ得られない情報もあり、これがネックです。現地にスタッフがいるといいなと思っています。

■ 今の生活に満足していますか?

はい。夜は寝られるし、体調もいい(笑)
朝7時過ぎから夕方の5~6時ごろまで、仕事に没頭するので家での食事だけは意識してちゃんととっています。

■ 後輩にアドバイスするとしたら?

まずはチャレンジしてみればいいと思います。ただ、収入をゼロにすると精神的に辛いので、副収入の道を考えておくといいかもしれません。起業には、自分で仕事をとっていく、精神的なタフさが必要です。助走期間で何か始めて情報収集しておくのが大事です。自分自身がやる気を失ったりするのも怖いですね。

■ 今後の展望についてお聞かせください。

全国展開を考えています。現在、関東と関西に5人の非常勤社員はいるのですがフルタイムの雇用はまだないので、雇用を創出できるようになりたいですね。あるいは地方にいらっしゃる方で調べものが好きな方、短期でお手伝いして下さる方を探しています。
技術の進歩もありますから、技術の力で古い資料の筆書き文字認識や資料の横断的一括検索などができるようになればいいなと思っています。

■ 最後に、働くということは貴女にとってどういう意味を持っていますか?なぜ、働いているのでしょうか?

働くことは好きだから、死ぬまで働いていたいと思います。この仕事をしているとお客様がとても喜んでくださいます。直接、お客様の喜びの声を聞けるのは私にとっても喜びです。この仕事は直接、お客様からヒヤリングするので、人生まるごとお聞きするという感じです。

家系図と本のサンプル

歴史を知ることで自分の存在を確認できる。そのお手伝いをさせていただいていると思っています。これは、子供や孫に「お守り」をさずけるようなものだと思います。困ったときに、自分の両親や先祖たちがどんな風に乗り越えてきたかを考えることで、自分も頑張れる、背中を押してくれるロールモデルです。キューリー夫人(注)じゃわからないけれど、身近な人でのロールモデルです。(注:放射能研究に取り組み、女性ではじめてノーベル賞を受賞)

会社も同じで、先人がこんなことで苦労してきた、震災からどうやって立ち直ったかなどの話は、今の経営者の指針になります。

ファミリーヒストリー記録社のWebサイトはこちら
http://familyhistoryrecord.jp/

■ 編集後記

足立区の創業支援施設にあるオフィスでお会いした吉田さんは、はじける笑顔いっぱいで出迎えてくださいました。お父様への親孝行から始まった「歴史を調べ、形に残す」ビジネスは、単に、「記念の品」というのではなく、家族や従業員など、次に続く者への指針になると話す吉田さんは、ご自分のビジネスに誇りを持ち使命感に燃えているようでした。最初は手探りで始められたようですが、人を雇用し自分は仕事を取りに行くことに注力していきたいと、今はもう立派な経営者の顔をされていました。

「仕事を辞めて感じたことは?」の問いに、「もっと早く始めれば良かった!」と即座におっしゃったのが印象的で、将来に向けての構想もあり、困難はあっても、やっぱり仕事が好きで、今とても楽しんで取り組まれていらっしゃると感じました。(2018年1月30日)