国際女性Dayに思う

ミモザの花束

今日3月8日は国際女性Day、これは1975年に国連で制定されたもので、起源は1904年のNYでの婦人参政権を求めたデモがきっかけらしいです。日本でもこの日は様々なイベントが催され、女性の人権について、ジェンダーについて注目が集まります。

女性の人権と言えば、先日の元東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員長の発言をもとに、大きく日本女性の置かれた環境が動き始めた感があります。

これまで前政権の「女性活躍推進法」の制定はルールとして企業や社会に動きを求め、また日本のジェンダー指数が低いことが話題になったこともあったけれど、あまり大きなうねりになっていないイメージです。

でも今回は、何か大きく世の中が動き始める予感がします。

私は「マチュア世代の働く女性のセカンドキャリア研修」を開催していますが、企業の人事・教育部門に営業活動でお話させていただくと決まって言われるのが、「女性だけというのはNGなんですよ」という回答。

確かに今はもう「男性が」「女性が」という時代ではないし、研修の内容も、女性向けではあるけれど男性が聞いても十分参考になると思います。ならば、「働く女性のための・・」という私の考えは時代に逆行しているのかと、少し気になっています。

女性向け研修の是非については別の機会に譲るとして、国際女性デーにあたって、もう少し、あの森発言を考えてみたいと思います。

私は中高一貫の女子校に通いました。高校に入る時に事情があって自主退学して 共学の県立高校に移りました。女子よりも男子の比率が多いその高校で、何の会だったか忘れましたが委員長を決める必要があり、立候補を募ったところ、女子がひとり手を挙げました。そのときの教師が男子達に向かって言った言葉が、私がジェンダーを意識した最初かもしれません。

「おまえら女子が委員長でいいのか?」

当時は、男子が委員長、女子が副委員長というのがいろいろな場面で当たり前の時代で、今の若い人は違うかもしれませんが、昭和に学生時代を過ごした私たち世代ではそれに異を唱える人はあまりいませんでした。

でも私は女子校時代、(女子しかいなかったから)部活でも委員会でも女子がトップでしたから、女子がトップを務めることに全く違和感がありませんでした。ですから男性教師の一言が異様に私の記憶の奥底に残りました。 (当時はジェンダーなんて意識はありませんでしたが・・・)

結局、男子はだれも文句を言わず、彼女が委員長になり、無事にお役を全うしたと思います。あのときの教師はもしかしたら森さんと同世代。あの年代の多くの男性からしたら、ジェンダーとか頭でわかっていても結局本当に理解はできないものかもしれません。

私の時代は小さな頃から「男女平等」、同級生の男の子のことは○○君と呼ぶのが当たり前だった世代です。(実は、○○君は目上が目下に使う言葉で、女性が男性を○○君と呼ぶのは、ある一定の年齢の方からすると相当違和感があるらしい)

それでも社会のあちこちで、まだまだ女性差別、女性蔑視の感覚は(本人たちの気づかないところで)残っていたのだと思います。私は恵まれていたようで、職場であからさまな女性差別には会わなかったけれど「えっ?」と思う場面はいくつかありました。でも、その都度、聞こえないふりか、そこには触れずに聞き流してきました。

尊敬する友人の稲澤裕子さん(女性初の日本ラグビー協会理事、昭和女子大特命教授)が、森発言についての朝日新聞のインタビューで当時、以下のように語っていました。

森さんの発言に対して、笑いが起きたと報じられました。私も笑う側でした。男女雇用機会均等法以前に社会に出た世代。男社会の中で女性は自分一人だけという場が多く、笑うしか選択肢がなかった。笑いを笑いで受け流していた。でも声をあげないといけなかった。一緒になって笑ってしまったことが、日本がいまだに「ジェンダーギャップ(男女格差)指数121位」にいる一因だと、いま学生を前に反省しています。男女関係なく「おかしい」と声をあげる社会に変えていかないといけません。


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これは120%理解できると思いました。
その場に居て、森さんをたしなめなかった人達も同罪という論調がありましたが、それはなかなか難しいこと。

私がそこに居ても、できて顔をしかめるくらい。もしかしたら一緒になって笑ったかもしれない。稲澤さんがおっしゃるとおり、こういうことが世の中の困ったおじさんたちを放置してきたことになったのでしょう。

これってもしかしたらいじめの構図にも通じるものがあるかもしれないとも思います。 嫌だけど、嫌だと言えずに、へらへらしてしまう。

国際女性Dayのシンボルはミモザ。ミモザの花言葉は「感謝」だそうで、イタリアでは身近な女性に感謝の気持ちでミモザを贈る風習があるそうです。

自分はそんな差別はしていないと思うすべての人(男性も女性も)が、感謝の気持ちを女性だけでなく周りの人に持てるようになると良いなと思います。