中国茶の世界から「ご隠居」をめざして
先輩インタビュー:0007 その他:ティーセラピスト
北原 弘子(きたはら ひろこ)さん
中国茶と癒やしの空間 tea therapy Chaの香り 主宰
■ 今は何をしてらっしゃいますか? 現在のお仕事を教えてください。
中国茶の魅力を紹介して広める活動をしています。定期的に中国茶のお茶会を開催して、知らない人同士をつなぐお手伝いです。
皆さんそれぞれにいろいろ悩みを抱えて生きていますが、「いったんその悩みを横に置いて、今の時間を楽しみましょう」と。産業カウンセラーの資格を活かしてのティーセラピストとしての活動だとも言えます。
また空いた時間を利用して、病院で通院してくる患者さんへの案内などのボランティアもしています。
■ 退職前はどんな仕事をされていましたか?
外資系石油会社に勤めていました。外資と言っても 和気あいあいとした社風の会社で、私は調達部門で管理・サポート業務を担当していました。業界再編成を繰り返したため社内システムの統合業務のサポートに加わったり、派遣の方の採用やサポートなども行ないました。
■ 仕事を辞めたのはいつですか?
ちょうど50歳になったときでした。
勤めていた会社では何度も早期退職者の募集があったのですが、今回が最後の募集だと聞いて手を挙げました。
■安定した収入を捨てた理由は?
定年前には辞めようとずっと思っていました。入社したときは、いわゆる就職活動らしい活動もせずに勧められるまま面接を受けてすんなり入社できて、入ってみたら働きやすい会社で、なんとなくぬくぬくやってきたという印象です。
でも、だからこそ「定年」という、だれかが決めた期限で辞めさせられるのではなく、最後は自分の意志で辞めようと思っていました。
小学校時代の恩師が52歳で先生を辞めて短歌を始めていたことを知って、私も自分の意志で「何か」を始めようと思っていました。
子供も大きくなって子供の学費は大丈夫と夫から言われて、なら辞めてもいいかなと。
ただ、やりたいことがまだ決まっていなかったので、早期退職者の募集の締め切りが近づき、「どうしよう、どうしよう・・・」と悩みました。40代後半に心理学の交流分析の勉強をしていたので、最後は会社を辞めて、産業カウンセラーの勉強をしようと思い決断しました。
■ なぜ、今の道を選んだのでしょうか?
会社を辞めて、1年かけて産業カウンセラーの養成講座を受けて資格はとりましたが、資格をとっても仕事には結びつかないということがわかりました。
そんなときに、たまたま「世界のお茶マイスター」という、世界中のいろいろなお茶について広く浅く学ぶ講座があって、ちょっと面白そうなので参加してみました。そのうち、せっかくなら友達を呼んでお茶を振る舞って、自分も飲めるならいいなと、中国茶のお茶会を開こうかとお茶道具を買いに行ったところで運命の出会いがありました。
その店は台北にある台湾茶の老舗の長男が経営していて本格的に中国茶を学べるところで、そこでお話しを聞いていると私がいかに何も知らないかを痛切に感じて、中国茶をもっと真剣に学んでみようと、もっとちゃんと統合的に学んでみたいと思いました。そこから、中国茶についていろいろ勉強して、それをもとに、自宅でお茶会を開催していたのが、今では少しずついろいろなところでやらせていただくようになりました。
■ セカンドキャリアの準備を始めたのはいつ頃ですか? 考え始めたのはいつ?
在職中に準備をしていたわけではありませんが、定年前に会社を辞めようと思い始めたのは40歳くらいからだったと思います。
■ これまでに試行錯誤した時はありましたか? 仕事を辞めて感じたことや、 今、抱えている問題などあれば教えてください
やっぱり集客が難しいですね、今でも苦労しています。
生涯現役にあこがれていたのですが、最近体調を悪くして、いろいろ考えてしまいました。
中国茶は自分の発表の場として続けるとして、もっと別のこともしてみようかなとも思っています。
たまたま新潟へ行く機会があったときに、そこでお会いした居酒屋のご主人なんですが、中国まで書道を習いに行かれたそうで、筆の使い方が素晴らしいんです。私も小学生の時に書道を習ったことを思い出して、私もその方から書道を習うことにして、時々家で書いてメール添削をしてもらっています。
若いころ習っていた組み紐作りもやってみたいし、もう資格は要らないと最近思うようになりました。
■ 今の生活に満足していますか?
今はちょっと過渡期かなと思っています。前述の新潟旅行をきっかけにいろいろ考えてしまいました。
会社を辞めて13年、辞めたことに後悔はありません。会社にいたらこうはいかなかったと思います。人つきあいも広がったし、自分より20歳くらい若い人達とも交流ができています。
■ 後輩にアドバイスするとしたら?
好きなことを見つけることが大事だと思います。あれいいなと思ったら、まずはやってみて、違うかなと思ったら辞める勇気が必要です。同時にロールモデルを持つことも大切ではないかと思います。
書道もいいな、どうかなと思っていますが、今後どうなるかはまだわかりません。私の近所の方たちを見ていても、やることがなさそうな方が多いです。ぜひ、自分の楽しめるものを見つけて欲しいと思います。
■ 今後の展望についてお聞かせください。
「ご隠居」をめざしたいと思っています。趣味を追及していく、言わゆる「道楽」ですね。
好奇心が強いので、これからもやりたいことをやっていこうと思っていますが、無理はしない。今回、体調不良を経験して、つくづく、無理は禁物だと思いました。60歳すぎたら年齢を自覚するのも必要なことだと感じています。
■ 最後に、働くということは貴女にとってどういう意味を持っていますか?なぜ、働いているのでしょうか?
人とつながること。そして、人の役にたつ社会貢献ですね。
人の役にたつには相手が求めていることを考えなければなりませんので自分の勉強にもなります。
人の役にたつならボランティアでもいいと思います。近所のスポーツクラブに行くよりもボランティアをしていた方が同じ身体を動かすならいいかなと。今の病院でのボランティアは交通費を自分で払ってでもやっていますが、立ち仕事なので身体が健康でないと続けられません。
ただ、仕事をしてお金を得ることも大事だと思います。
お金は働くことの対価、働いた内容を表わしているのだと思います。ですから、中国茶はボランティアではやりたくないですね。老人ホームでの高齢者のためのお茶会ならいいのですけれど・・・・
中国茶をお金に結びつけるのは、なかなか難しいことですが、無理してまでやろうとは思っていません。こちらは趣味としても、極めていきたいと思っています。四季感を出した発表会を開催できたらとも考えています。
小学校のときに、講堂で見た映画「北風と太陽」が心に残っています。「力」じゃないんだ、と目からうろこが落ちる思いでした。北風から太陽へ変わる部分の映像が、今でも時々浮かんできます。
もう、資格もいらないので、「北風と太陽」の太陽をめざして生きていきたいなと思っています。
Chaの香りのWebサイトはこちら
https://chanokaori.tumblr.com/
■ 編集後記
これまで何度か北原さんのお茶を楽しませていただきましたが、中国茶の解説を交えてのお茶会は日本の「茶道」のような難しい手順は求めず、純粋に中国茶を味わうもので、日常のあわただしさを忘れさせてくれる「ゆるりとした時間」を楽しむ「場」でした。今回のインタビューでも、北原さんの落ち着いたお人柄をあらためて感じさせていただきました。
退職時期は自分の意志で決めたいと50歳の節目に辞められて、試行錯誤の中で中国茶に出会い、今は「ご隠居」をめざしたいと語られる北原さんは、時の流れをゆっくりと感じる中国茶の世界観と印象が被ります。
インタビューの最後に「北風と太陽」の太陽をめざしたいと語られた北原さんの「力」じゃないんだという言葉は、これから歳を重ねていく私たちがめざすもののひとつを教えてくれているようにも感じました。(2018年6月8日)